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泡盛天使の酒造所めぐり 第2回 忠孝酒造(豊見城)

久米島へ

那覇空港からJTA便で約30分。人口約8300人余が暮らす久米島。
2つある酒造所の一つ、「米島酒造」を訪ねた。

沖縄の有人島のなかでは、宮古島の次に大きな島で、車えびが有名。
更に有名なのが、「久米島紬」。
日本の絣織物の原点ともいわれる久米島紬は、草木染のしなやかな絹の織物で、島の女性たちによって現在に受け継がれている。
プロ野球「楽天」のキャンプ地でも有名で、シーズンには多くのファンで賑う。
海洋深層水の「バーデハウス」にも全国から多くの人が訪れる。

そして世界一美しい!といわれるハテの浜!!
久米島蛍も人気。観光客は年間約8万人!
人口8千人余の島ですから約10倍!小さな島の良さが伝わるのどかな島だ。

久米島の名前の由来は色々で、久米という地名は日本全国にあり、米に関係する古い地名といわれている。
クミと読まれていて続・日本書記には「球美」と記載されている。
中国では久米がクミになり、沖縄では中国の影響で早くからクミと読まれていたが、ヤマト風にクメジマと呼ばれるようになった。
民俗学者の伊波普猷は、「八重山からの帰り、船から見た久米島が、海亀の姿に似ていたと感じ、島の形からがついた名前ではないか?」、という仮説もたてているが、定かではない。
いずれにしても、水が豊富で地質がよく、米の栽培に適した島は、「献上米」の栽培に指定されていて、米の植え付けを担当する女性の「早乙女」集団も実在していた。
王朝時代には、中国への「進貢船」の中継地としての役割を担っていたことから、豊かな島であったと思われる。

水と米の豊かな島で1948年3月、米島酒造は誕生した。
今年で66年。
4代目となる工場長の田場俊之さんに話を聞いた。

酒造りへの想い

俊之さんの曾おじいさんにあたる田場良徳さんは、当時役場の収入役だったが、1948年に仲間7人とともに「合資会社・米島蒸留所」を創設した。
1962年には経営危機で6人が脱退。
良徳さん一人になったため名前を「米島酒造」に変更。
当時、島には4つの酒造所があったというから、経営は大変だったと想像できる。

きびしい経営を強いられる中、泡盛を作るための米は農家から買い求めていた。
時代の変化で米からサトウキビに変わり、経営は益々きびしくなっていったが、2代目の庄次郎さんは先代の意志を守るため必死だった。

1986年には、弘さんが27歳で3代目に就任。
これにはきびしい現実があった。
あるとき、酒の味を変えたら、島の人たちから「あんたのところの酒は美味しくないから飲まない!」と言われ、それから本当に酒が売れなくなった。
その後、もとの味に戻したが、信頼を取り戻すのには、20年もかかってしまったという。

島の人に飲んでもらうため、島の行事の際に寄贈したり、とにかく「飲んでもらいたい!」一心だった。
たくさんの時間はかかったけれど、「酒造りの厳しさも原点も学んだ」。
このことが米島酒造の「美味しいといわれる酒を造る」という教訓になっている。

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