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泡盛天使の酒造所めぐり 第6回 高嶺酒造(石垣島)

悠久の自然に抱かれる酒造所

石垣島で一番美しい!といわれる「川平湾」。
あの岡本太郎氏をして「いかなる画人の詩情をもってしても、その表現が困難である」と言わしめたほど。
国指定の「名勝地」で太陽の光や雲の流れ、時間帯によって海の色が変わり見る人を感動させ楽しませる場所。

高嶺酒造はそのほとりにあり、近くに黒真珠の養殖場、ちょっと行くと高級リゾート「クラブメット」がある石垣島有数の観光地でもある。
入り口には昔からの井戸があり、大きなガジュマルの木が久しぶりにふるさとの実家に里帰りしたような、懐かしい雰囲気をかもし出している。

工場の建物の入り口を入ると、すべてガラス張りで作業も丸見え。奥で手作業でラベルを貼るスタッフの姿も見える。
誰でもいつでも自由に入って見学できるというから、かなり大らかというか自由度の高い酒造所だ。
廊下の壁の上のスペースには、お酒を預けてあるお客様の名札がびっしり張られていて圧巻!
現在約5千名名余の方たちがお酒を預けておられるそうですが、名札を張るスペースが足りないのが目下の悩み?とか。
私も友人、知人の名前を見つけました!!

高嶺酒造の歴史

1949年、高嶺英三氏によって創業され、現在は3代目の聡史氏に受け継がれている。
家族を中心に、たった8名という小さな酒造所だが、会社の規模とは裏腹に「高嶺」の名は、全国に広く大きく知れ渡っている。
高嶺が有名なのには理由があって、今でも昔ながらの製法「直火式、地釜蒸留」で酒造りをしているからだ。

すべて手造りで手間隙かけ時間をかけてじっくり酒を造る。
この製法で出来た酒は、二日酔いの成分といわれる「アセトアルデヒト」がかなり減るので高嶺の酒は二日酔いしない酒!と定評で全国にファンが多い。
今でこそ安定した経営の高嶺酒造でも、英三氏の時代には他の酒造所と同じく、経営が苦しく養豚業で酒造所の経営を支えていた時代もあった。
英三氏のあと、四男の善伸氏が社長に就任。
善伸氏は活動的な人で、学校のPTAの役員や石垣島の市会議員もやっていたが、沖縄県の議会議員に当選し石垣島を離れることになったため、長男の聡史さんが2009年に那覇の会社を退職して3代目の社長に就任した。
工場では、善伸氏の兄の善都氏が、杜氏として酒造りを担っていたので、特に支障はなかった。
現在は、高齢になり引退して、善都氏の息子さんが杜氏を務めている。
聡史氏の弟の亨史さんが工場長で、事務所は妹と母が担っている。
文字どおりの家族経営である。家族経営なので酒も造れば配達もするし何でもしますよ。という。

聡史さんが社長になった頃は、市内から遠く離れた川平にある高嶺の酒は、まだまだ無名で石垣市内の飲食店でも置いてある店は少なかったそうだ。
それで1軒1軒まわり、自分で飲んでいたそうだが、そんな営業は長続きするはずもなく・・・、友人、知人の口コミに頼るしかなかったそうだ。

一人でも多くの人に「まずは高嶺の酒を飲んでもらえるようになれば・・」と、たった1本でも宅配したというから仕事の量は半端じゃない。
工場の仕事が終わったあとは、石垣市内までも配達するわけだから、帰りはいつも夜中になった。
工場の仕事を覚えるのも、ほんとに大変だったそうだ。

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