新年が明けてもなかなか寒くならない1月中旬、ポカポカ陽気に包まれて名護へ!
名護城公園の桜はまだ1分咲き程度でした。
市内の住宅街の細い路地をくぐった先に赤瓦のいかにも古い趣のある古民家が見えてきます。
表のブロック塀に掛けられている「津嘉山酒造所」の看板がなければ、そこが酒造所?と 思うような・・・。
名護在住の方でもその存在を知らない人も多いとか!
知る人ぞ知る酒造所なのです。
しかも県内に現存する木造赤瓦の建造物では最古 で平成18年に文化庁の有形文化財に登録されたすごい建物で、現在4億2千万円をかけて解体・修復工事の真っただ中でしたが、麹部屋だった建物はすでに修復作業も終わり、現在は母屋と工場の作業が進んでいます。
国の文化財の工事はスゴイものです。
津嘉山酒造所を訪ねるのはラジオの 番組で「やんばる島酒の会」の取材以来です。
その時はまだ建物がありました。お忙しい中、工場長の幸喜行有さんに作業中の建物の中でお話を伺いました。
津嘉山酒造の誕生
今年創業86年。
創業者は与那原出身で明治13年生まれの津嘉山朝保。
材木商で財を成した朝保が「泡盛製造」に至った経過は、当時の資料なども少なくよくわかっていませんが、水が豊富な名護で広大な土地を買い首里三箇から「麹おばあ」の女性の杜氏を住み込みで雇い酒造りを始めました。
工場の設計者は島袋純一氏。(この方の資料もなく詳しい経歴不明)
棟梁が金城徳三郎氏。明治35年に首里に設立された「首里区従弟学校」、(現在の沖縄県立 工業高校の前身)の出身が約3年の時を費やして建造した。
当時としては珍しい「合掌造り」でその上、住宅と工場が棟続きという設計。
しかも、トイレが家の中!」だということから戦前、本土から来ていた教師に建築を教わったものと思われる。
広大な敷地の庭には沖縄の地図を模った細長い池まで造ってあり、津嘉山朝保のこだわりを思わせる。
金城氏のお孫さんが時々訪ねて来られるとか。
さらに、屋根に使用されている赤瓦も、瓦職人の息子のお弟子さんが1万枚以上の赤瓦を一人で焼いているという。
世代を超えて技術も受け継がれているという、「奇跡」の酒造所である。