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泡盛天使の酒造所めぐり 第11回 宮の華酒造(宮古島市)

2代目・盛良へ

泡盛造りは順調で会社も安定しいた頃、平良にあった「中尾酒造(菊の露)」が(鹿児島の人だった)売りに出されることになった。
盛昆は中尾酒造を買収し、長男・潔が社長に就いたため宮の華は三男の盛良が2代目となった。(1979年)
盛良は職人気質で「いい酒を造る」ための努力を惜しまない人だった。すでに同じ伊良部島の洋子と結婚して4女に恵まれていた。

洋子は子育て、家事、酒屋の手伝いに追われるうちに酒造りも教わるようになった。
女性初の杜氏となり社員もほとんどが女性になっていった。
細かい心配りが必要な酒造りは女性に向いているという盛良の思いもあった。
伊良部島は産業も少なく、男たちは遠洋漁業に行くため、女性にとっても宮の華は打ってつけの職場だった。

盛良は品質向上にほんとに努力した人研究熱心でも あった。
1972年(日本復帰)には第11回全国酒類調味食品品評会で金賞を受賞した!
その後は県内の泡盛品評会での常連受賞者となり、宮の華の酒はだんだん知れ渡るようになっていった。

盛良はまたその頃誰も造ってなかった「もろみ酢」を独学で研究し完成させていた!
その後もろみ酢は泡盛業界に広がっていった。


3代目・さおりへ

盛良が60歳を過ぎた頃にとても不思議なことが起きた。
沖縄の古典芸能の舞踊の三大流派のひとつ、「紫の会」の創設者である島袋光裕氏(故人)が、 初代・盛昆のために(寄贈するために)書いたと思われる直筆の書が見つかった。(光裕氏は石扇翁(せきせんおう)という書家でもあった。

折しも光裕 氏の生誕100年記念誌発刊のため遺品を整理していた時に書が見つかり、装丁会社からの連絡で初めて盛昆と光裕氏の深い繋がりを知った。

三線で古典民謡を弾いていたが、まさかあんなにすごい人!と、みんな驚いた。
そこには格言とも思われる言葉が書かれていて、まだ2代目に就任していなかったが、2代目と書かれていたのにまた驚きだった。
その書はきれいに額装されて、宮の華の事務所に掲げられている。



盛良は60代の若さでこの世を去った。すでに平良で営業所を担当していた娘さおりは、父が病に倒れた時「私に跡を継がせてください」と頼んでいた。

おじいとおばあが作った酒屋を無くしたくなかったからという。
2005年、3代目就任。あの書をおじいの遺言のように感じ会社を経営していくための指針と感じている。
2005年社長に就任する時、父・盛良が新発売する予定だった最後の酒を「華翁(はなおきな)」と命名して、新発売した。

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