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泡盛天使の酒造所めぐり 第11回 宮の華酒造(宮古島市)

「松藤」の誕生

起心とオトの長男・起松が酒屋の2代目となった。王府の系統を持つ藤子と結婚。
藤子はオトからコウジサー(杜氏)としての教えを受け夫婦で酒造 所を切り盛りした。
政治家になり多忙になった夫を支えた。その頃には「崎山酒造所」となっていたようだ。

順風満帆の暮らしの中、時代は戦争へと向 かっていた。
戦争で首里の酒造所は壊滅状態になり、戦後琉球は米軍の施政権下に置かれ、酒屋も米軍の民政府の管理下に置かれた。

昭和21年、民政府は 5つの酒造所を首里以外の地に移した。そのうちの一つが金武町・伊芸区で「官営泡盛製造廠」だった。
起松はそこの工場長に任命された。
酒屋が破壊 され戦後の混乱期にあって伊芸への移転に選択の余地はなかった。
家族、職人すべて一緒の生活がはじまった。

恩納岳の伏水流が滔々と流れる自然豊か な土地での酒造りが始まった。
建物は米軍の払い下げ、原料は米軍からの物資で驚くのは「チョコレート」と「りんご」などの果物だったいう。
食料がなく 「ギブミー・チョコレート!」の時代に蔵にはチョコレートが山積みされていたというから、まさに時代の象徴でもあった。

昭和24年に官営が解かれ民営になり、崎山酒造廠も個人経営の酒屋となった。
今も工場の入り口は当時のまま。歴史を忍ばせる。

昭和に入り酒が瓶詰めで売られるようになり、ラベルが必要になった。
酒の名前も必要になり起松の「松」と妻藤子の「藤」で「松藤」が誕生した。

この命名は沖縄の喜劇王「小那覇ぶーてん」のアイデアともいわれて いる。 70年あまり前、妻の名を商品名にすることはスゴイ事だったと思う。松藤は崎山の歴史と誇りそのものになっている。

女性が支えた酒蔵

起松と藤子の長男・操が3代目となり昭和30年光子と結婚。

光子もまた藤子から杜氏になるための教えを受けた。
泡盛業界も苦難の時代になっていく。

泡盛の製造過程で出る、酒粕を餌に養豚も兼業しながら、それでも酒造りをやめなったのは、「オト」をはじめ父・母が苦労して支えてきた「蔵」を無くしてはいけないという強い思いがあったからだ。
家族以外に、従業員も住み込みでの暮らしは、日々の食事の支度だけでも大変だったそうだ。


80歳を超えた「光子」は、一線は退いたものの健在で、若い女性の杜氏の良き相談相手になってるそうだ。
崎山酒造廠は、恩納岳の伏流水が滔々と流れる場所にある。恩納岳は沖縄で唯一、楢の木が自生していて水は石灰岩ではなく、楢の根っこを流れてくるため、自然の軟水そのもの。
この自然の軟水こそが、崎山酒造廠の酒の美味しさの源でもある。

今年、110年を迎えるが、来年111年目で、節目を祝う予定だそうだ。

70数年前、首里から松林と田んぼが広がるこの地に来た時は、どんな気持ち だったんだろう・・・

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